「病気になってから治す」のではなく、日々の暮らしの中で健康を育てていく。その考え方は、忙しい現代社会に生きる私たちにとって、大きなヒントになるはずです。
今回は、一般社団法人日本アーユルヴェーダ学会 理事長であり、大阪府守口市で耳鼻咽喉科を開業する医師・北西剛先生にインタビュー。学会の歩みや理念、現代日本においてアーユルヴェーダを学ぶ意味、資格制度の考え方、そして学びを通じて起こる変化について、詳しくお話を伺いました。
日本アーユルヴェーダ学会とは?設立の背景と60年の歩み

――一般社団法人 日本アーユルヴェーダ学会の設立のきっかけを教えてください。
一般社団法人 日本アーユルヴェーダ学会の歴史は、1967年に設立された「インド伝承医学研究会」までさかのぼります。そこから1971年に「アーユルヴェーダ研究会」が発足し、1999年に「日本アーユルヴェーダ学会」へと名称が改められました。現在は一般社団法人として活動しており、会員数はおおよそ500〜550名ほどです。
学会がスタートした約60年前の日本は、高度経済成長期であり、西洋医学が大きく発展していた時代でした。薬や手術による治療が医療の中心となり、医療は目覚ましい進歩を遂げていました。
その一方で、「世界各地に受け継がれてきた伝統医学には、現代医療とは異なる価値があるのではないか」と考える医師や研究者がいました。
東邦大学教授の幡井勉先生、大阪大学教授の丸山博先生らが実際にインドへ赴き、アーユルヴェーダの現地臨床・教育・薬学の実態を調査し、日本に紹介したことが学会の基礎となっています。
重要なのは、アーユルヴェーダを単なる民間療法ではなく、広義の生命の科学であり、医療哲学として位置づけた点です。この考え方が、現在の学会活動の根幹になりました。
――日本アーユルヴェーダ学会が大切にしている理念を教えてください。
アーユルヴェーダは海外の伝統医学であり、歴史も非常に長いため、解釈に幅が生まれやすい分野でもあります。
インターネット上には多くの情報があふれていますが、それが古典的な理論に基づいているのか、あるいは独自解釈なのかを見極めるのは簡単ではありません。
だからこそ学会として、正確で分かりやすい形で伝えることを大切にしています。
アーユルヴェーダを、日常生活の一部として、医療として、そして哲学・生命普遍の科学として学び、実践していただくことで、一人ひとりが自然や宇宙との一体感を感じながら、その人らしい幸せな人生を歩むためのお手伝いができればと考えています。
耳鼻咽喉科医・北西剛先生が語る、アーユルヴェーダとの出会い
――北西先生ご自身は、いつ頃アーユルヴェーダと出会われたのですか?私は1992年に医師になり、病院で診療を続けてきました。
その中で、西洋医学はとても重要である一方、「治療をしてもなかなか改善しない」「再発を繰り返す」「検査では異常がないのに不調が続く」といったケースを数多く経験しました。
こうした経験から、西洋医学以外の視点や考え方も学ぶ必要があるのではないかと感じるようになりました。
2005年に開業してからは、セミナーに参加したり、専門の先生方から話を聞いたりしながら、アーユルヴェーダの学びを深めていきました。アーユルヴェーダの魅力は、病気を治すだけでなく、予防・養生・日々の生き方までを含めて「医療」と捉えている点にあります。この包括性に、大きな魅力を感じました。
アーユルヴェーダが考える“本当の健康”とは?|現代日本で学ぶ意義
――現代日本でアーユルヴェーダを学び、実践する意義とは何でしょうか?日本は長寿国であり、医療制度や保険制度も整っています。しかし、「自立して健康に生活できる期間」である健康寿命は、平均寿命よりも約10年短いといわれています。
また、世界的な幸福度調査を見ると、日本は経済的にも医療制度の面でも恵まれた国でありながら、「幸せを実感している人の割合」が必ずしも高いとは言えない現状があります。
単に長く生きることよりも、「自分のやりたいことができる状態で生きる」「自分らしく幸せを感じながら生きる」視点がとても重要です。
アーユルヴェーダは、一人ひとりの体質や季節、心とからだの状態を重視し、食事や生活習慣を通じて不調を未然に防ぐ医学です。
忙しい現代生活の中で、自分自身のからだを知り、生活リズムの乱れに気づき、心身のバランスを無理なく調えていくための実践的な智慧として、私たち日本人がアーユルヴェーダを学ぶ意義は大きいと思います。その先に、自分らしく選択しながら生きていける、豊かな人生が広がっていくのではないでしょうか。
――アーユルヴェーダにおける「健康」とは、どのような状態を指すのでしょうか?
アーユルヴェーダでは、健康を以下のように考えて、定義しています。
- ドーシャ(個々の持っている、こころやからだの特性・特徴)が調っている
- アグニ(消化や代謝の力)がしっかりとはたらいている
- ダートゥ(からだの構成要素)がきっちりと作られている
- マラ(老廃物)が適切に作られ、きちんと排せつされている
- 思考、意識、五感が浄化され、健やかに機能している
このように、アーユルヴェーダはからだの健康だけを指すのではなく、こころ、五感、霊性などを含む調和を大切にする「心身魂の医学」です。
“病気を治さないと健康にはなれない”と考えている私たちにとって、“毎日を健康にすごすことで気づけば病気から離れている、体調が整っていく”というアーユルヴェーダの健康観は、毎日を丁寧に、感謝して過ごすことの大切さを、あらためて教えてくれていると感じています。
セルフケアアドバイザー初級資格とは?学びの内容と活かし方
――セルフケアアドバイザー初級資格について教えてください。学会が認定している初級資格は、「アーユルヴェーダ・セルフケアアドバイザー初級資格」です。この資格は、まず自分自身の健康を高めることを目的としています。
内容としては、
- アーユルヴェーダの基礎理論
- セルフケアの方法
- 基礎的な解剖学・生理学
- ヨーガの考え方
などが、初級資格取得のためのテキストにまとめられています。
このテキストを基に、毎年行われる学会研究総会と同時にワンデイセミナーが開催されているほか、学会の認定校・認定講座において、資格取得に向けた講座も実施されています。
日本では、アーユルヴェーダの知識を用いて病気の治療行為を行うことはできません。そのため、まずは自分を整えることを最優先に考える資格になります。
まずは自分自身のセルフケアを深めること。その実践が、家族や身近な人へと自然に広がっていく。そういう形で活かしていただければと思っています。
――実際に学ばれた受講生の方の変化で、印象的だったエピソードはありますか?
私たちは、何気ない日常が何事もなく送れていることのありがたさを、つい忘れがちです。ご自身やご家族が不調になり、はじめて「健康とは何か」を考えるようになる方も少なくありません。
受講される方の動機はさまざまですが、そうした出来事をきっかけに学び始める方も多いですね。そして学びを続けるうちに、「病気を治したい」から「日常を整えたい」へと、意識が変わっていきます。
結果として、不調の頻度が減ったり、風邪をひきにくくなったりといった変化を実感される方もいます。
ある方は、書籍やセミナーをきっかけにアーユルヴェーダに関心を持たれ、スクールで学びながら資格を取得されました。その後、その学びを自ら体感したいと考え、インドでトリートメントや本格的な浄化法であるパンチャカルマを受けられたそうです。
そして学びを重ねる中で、その良さを周囲にも伝えたいという思いが芽生え、現在はご自身でサロンを開き、講座も行われています。
このように、学びがその方の生き方や選択にまで影響していく様子を見るたびに、あらためてアーユルヴェーダの奥深さを感じています。
予防よりも前にある“養生”という考え方
――先生は“予防”という言葉よりも“養生”を大切にされていると伺いましたが、その違いは何でしょうか?そうですね。予防という言葉ももちろん大事なんですが、日本では「予防」と聞くと、早めに薬を飲むとか、悪くならないように抑えるというニュアンスで受け取られることが多いんですね。
でも私が大切にしているのは、その一歩手前にある「養生」という考え方です。日々の暮らしの中でからだを整え、生活を調えていくことで、結果として病気から離れていく。これが、アーユルヴェーダの基本的な発想です。
よくお話しするのは、「予防は治療に勝さり、養生は予防に勝さる」という言葉です。治療より予防、そして予防よりも日々の養生。その積み重ねが、長い目で見たときの健康につながっていくのだと思います。
健幸超寿を目指して|今日から始めるアーユルヴェーダ実践
――アーユルヴェーダを初めて学ぶ方は、まず何から実践するとよいのでしょうか?アーユルヴェーダというと、「何か特別なことをしなければならない」「道具や知識がたくさん必要なのでは」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし実際には、まずは日常の中でできる小さな養生を一つか二つ取り入れることからで十分です。
アーユルヴェーダでは、日々の基本的な過ごし方をディナチャリヤー(Dinacharya/日常の養生法)、季節ごとの過ごし方をリトゥチャリヤー(またはリトゥチャリア)と呼び、とても重視しています。
これは「特別な修行」ではなく、毎日を健やかに過ごすための生活習慣の指針のようなものです。
私自身ができる限り実践しているのは、例えば次のようなことです。
- できる範囲での早起き(朝5時台)。古典では、日の出前の時間帯は心身が整いやすい神聖な時間とされています
- 起床後の瞑想
- 朝の入浴に加え、頭・足・耳の3点をやさしくオイルマッサージする
- 絹の手袋で手足をこするガルシャナ(乾布摩擦のようなケア)
- 舌についた汚れを落とす舌磨き(ブラシではなく、金属製がよいとされるのでスプーンなどで代用可)
- セサミオイルの口ゆすぎ(ガンドゥーシャ)や点鼻(ナスヤ)
- 起床時・就寝前にお白湯を飲む
こうしたことをすべて完璧に行う必要はありません。「これならできそう」と思うものを一つ選び、自分のお気に入りの習慣として続けてみることが大切です。
実は、近年の医療でも「Opportunistic prevention(機会を逃さない予防)」という考え方が重視されています。これは、病気で受診された“その機会”を、単なる治療の場にとどめず、予防や日常の養生へとつなげていこうという考え方です。
症状を薬で抑えることももちろん大切ですが、それだけでは十分とは言えない場合もあります。そのため、診察の場でもディナチャリヤーのような日常の養生法を紹介し、日々のお手入れの大切さをお伝えすることも、医師としての大切な役割だと考えています。
――日常の養生の中でも、特に取り入れやすいのが「食」だと思うのですが、食事面ではどのようなところから始めるとよいでしょうか?
食の面では、スパイスやハーブを身近に取り入れるところから始めるのも良い方法です。例えば、温めたミルクにターメリックを加えるゴールデンミルクは、手軽に作れてからだを温める飲み物です。インドでは、健康維持を意識して親しまれてきました。
インド料理店で食後に提供されることのあるフェンネルシードも、消化を助けるハーブとして知られています。
また、取り入れやすいものとして、人それぞれの体質を知るための考え方である「ドーシャ理論」も、初めての方には興味を持ちやすい入り口です。簡単に、自分自身やご家族のドーシャバランスを調べてみるのも、アーユルヴェーダの導入としてよい方法だと思います。
人の体質や傾向を、火(ピッタ)・風(ヴァータ)・水(カパ)の3つに大きく分類し、「自分はどの要素が強そうか」「どこが乱れやすいか」を知ることで、生活習慣を見直すヒントになります。
難しく勉強しようとするよりも、まずは体感すること。それがアーユルヴェーダの一番自然な入り口だと思います。
これからアーユルヴェーダを学ぶ方へ|北西先生からのメッセージ
――学会としてどのような社会を作っていきたいとお考えですか? 今後に向けて見据えているビジョンをお聞かせください。これからの日本は、からだの健康や生物学的な長寿だけを目ざす「健康長寿」を求める時代から、みなが幸せを実感し、自身の持つ本来の齢を越えて生きることができる「健幸超寿」の時代へと向かっていくと考えています。
従来の医学系学会は、病気を治すための知識を得るための組織という役割を担ってきました。そうした現代医学の進歩と並行して、日本アーユルヴェーダ学会では、アーユルヴェーダに通底する智慧・哲学である「個々の体質」「日常」「生き方」を大切にすることの意義を伝えていきたいと考えています。
これによって、個人の、地域の、日本の、世界の、地球の、そして宇宙の「健幸超寿」が達成されることを願っています。
――最後に、これからアーユルヴェーダを学ぼうと考えている方へメッセージをお願いします。
アーユルヴェーダは、一部の専門家や特別な人だけの医学ではありません。誰にとっても当てはまる視点を持つ、非常に間口の広い医学であり、人生の指針にもなる智慧です。
現代は忙しく、気づかないうちに生活リズムが乱れがちです。だからこそ、日々の暮らしの中に小さな養生を一つ取り入れてみてください。その小さな実践が、次の一歩につながっていきます。日々の養生の積み重ねが、未来の健康と幸せをつくっていくでしょう。
編集後記|小さな実践から始めるアーユルヴェーダ
本取材を通して、アーユルヴェーダは「特別な人のためのもの」ではなく、日々の暮らしの中で実践できる予防医学であり、生き方の智慧であることが伝わってきました。「まずは小さな養生を一つ取り入れてみる」。そこから始めてみて、もし「もう少し体系的に学んでみたい」「正しい知識を基礎から知りたい」と感じた方は、日本アーユルヴェーダ学会が開催する研究総会やワンデイセミナー、認定講座などをチェックしてみるのも一つの方法です。
詳しい情報は、日本アーユルヴェーダ学会の公式サイトも参考にしてみてください。
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